春恋し、すみれ夢の別れ(春恋紫花夢惜別) ~サクラ大戦~

 新聞の見出しは、いつもながらに扇情的である。

 例えば、この新聞の文句は、

「名花散りゆく」

 で大衆の涙を誘っているし、こっちの新聞は、

「帝都震撼す」

 だった。

 魚津に始まって全国に広がった米騒動や、皇道派青年将校の暴走ではあるまいし、と我ながら恥ずかしくなった。

 それでも、新聞に使われた写真の映りが気になるのは、私の女優の性なのだろう。

 写真映りにまあまあ満足して、次に記事を丹念に読んでみると、それぞれの新聞記者の性格が現われて面白いものだと思った。

 平素仲良くしている記者は、好意的に書いてくれているし、あんまりつきあいがない三流紙の記者はあることないこと、まるででまかせである。

 例えば、私とさくらさんの深夜のご乱交と称して、上流社会の方々との乱痴気騒ぎを記した記事があった。

 挿絵を描いたのは、美人画で名を知られる松久夢路先生だった。お上手なのだが、おかしいのが、伊太利亜の仮面舞踏会で使われる仮面を被っている風に私が描かれていることだった。

 そのくせ、目元のほくろだけは、ちゃんと描き込んでいる。

 冗談ではなかった。歌劇団に所属してからこのかた、この身を他人に任せたことなどない。いや、これも正しくないかった、正確に言うならば、大神中尉以外の殿方に、という意味だ。

「もう、冗談にもほどがありますわ」

 つい口に出てしまった。

 更に、三流紙の記事を指で追って読んでいくと、私とさくらさんが、社交界の貴公子に恋の鞘当てをおこない、負けた私が、傷心の思いで引退すると断言すると書かれているのに至っては、腹の立つことこの上ない。

「名誉毀損で訴えようかしら?」

 呟くと同時に、背後の寝台の毛布の中から手が伸びて、私の乳房をまさぐった。

「有名税って言うんだろ、そういうの」

「でも黙っていられませんわ。トップ」

「トップスタアの沽券に関わる、だね?」

 たくましい腕が私を抱き寄せて、新聞が手から離れて地面に落ちていった。

「あん……」

 熱い唇が首筋に触れ、吸われた私は早くも陶酔感を感じていた。そのままお人形のようになって、中尉に組み伏せられていく。

「跡だけはつけないで下さい……」

 化粧で隠せるものとそうでないものがあるのだ。

「そう言われるとつけたくなる、のさ」

 言うなり大神中尉は、笑ってまたくちづけた。

「この後稽古があるんだっけ?」

「ええ、でも……」

 愛撫の手を休めて欲しくない私は、

「今は中尉のお好きなように」

 精一杯の思いを込めて言った。

 それを聞いた中尉は胸の頂きに舌を這わせ、口に含んでは転がしていった。

 身体の奥底から込み上げる、何か蠢くものが疼いていく。だから私は背中に手を回してしがみつくのだ。昨夜の余韻が身体に甦り、潤むのだった。

「もう、こんなに……」

 中尉が指を見せる。

 指先についたしずく。潤んだ私のしずく。

「趣味がお悪いですわ、そんなの見せるなんて……え、あっ」

 指が、再び私の中心に伸びていた。

 摘まれて、掻き分けられて、女を探られて。かすむ目に映るのは、中尉の顔だけ。

「巴里でもこうやって、ご婦人方に?」

 言いようのない嫉妬心からの下司な言葉を吐いてしまう。巴里だけでなく、この帝都大劇場の中でも同じことをしているのは、知っているのに、ついついと。

「今はすみれ君だけさ」

「本当に憎たらしい人」

 せがんで、ねだって、私は中尉の接吻を受ける。舌を幾度となく絡め、その間に身体中をくまなく調べるように扱われて。

 

「未練はねえのかい?」

 隅田川の揺れる屋形船の中で、支配人が言ったことを思い出す。

 受けた杯をくいと呷った。咽喉越しに落ちていくお酒が、ひどく熱かった。

 ご返杯を返し、立った。船の揺れを感じたが、私が酔っている訳ではあるまい。それに酔える気分ではなかった。

 言問の橋を越えたところか、でも、私に言えるのは、

「野暮なこと、聞かないで下さいまし」

 涙が頬に落ちていく。それだけは支配人に見られたくなかった。

 

 霊力が前より落ちているのに気づいたのは、いつのことだったか。

 京極の一件? それとも長安の時?

 ある日の演習の時、私は自覚した。マリアさんやカンナさんどころか、レニや織姫、アイリスにも歯が立たなくなってきていた。

 薙刀のお稽古が足らない? それとも単に機体の調整不足のせい?

 違った。身体から広がるあの眩い感覚が、いつのまにか抜け出てしまっていた。桜武や三色すみれに乗った少女の時に持っていたあれが、ないのだ。

 

 それとも、中尉との荒淫のせいでなくなってしまったのかしら、うふふ。

 

 笑ってみても、何もなりはしないが、笑わずにはいられない。

 だから、私は中尉にころんと転がされても、平気だった。恥ずかしいところを、朝日の差し込む窓辺で見られても全然平気。

 舌を休めて、

「きれいな色だね、すみれ君」

 突き抜ける快感に身悶えながら、微笑みを返す娼婦のような私。そう、中尉にお情けを頂く時は、私は場末の娼婦みたいになる。

 手を伸ばしてすがって、固く中尉の頭を押さえつけて、いく。

 そのうち、だんだん気持ちよくなってきて、天井が真白に見えてしまう。

 ああ、いく、達する、と思った途端、身体が弾けていた。身体から力が抜けて、聞こえるのは、自分の荒い息だけになる。

「君?」

 はあはあと激しい息づかいの彼方から、中尉の声が遠くに聞こえた。

「れ君……?」

 朧月夜の中のお花畑を歩いているような錯覚。

 これは錯覚? 夢? 幻?

「すみれ君!!」

「あっ!!」

 ぐっしょりとかいた汗の中で、私は目が覚めた。気を失っていたのだ。

「大丈夫かい?」

 目の前の中尉の顔は、心底心配してくれているようだ。

「え、私、気を失っておりましたの?」

「すみれ君は感じやすいから」

 誰と比べて、というのも野暮な質問だった。嫉妬心から拗ねてみせるのは、可愛くない女のすることだ。

 私は花組トップスタアなのである。想い人が、例え、夜毎誰と枕を共にしようとも、まったく関係ないことだった。

 

 関係ないはず。

 花の都の巴里で、紅毛碧眼だか金髪碧眼だかの異人の娘と、褥を過ごそうとも。

 帝都で、花組の誰を涙させようとも。

 

 口惜しい。

 本当に口惜しい。

 さくらさんの豊かな黒髪の中で溺れる中尉。

 マリアさんの宝石のような瞳に映る中尉。

 アイリスをお人形のように抱きしめる中尉。

 紅蘭、カンナさん……

 

 悔しい。

 花組を巣立って、実家の神埼重工に入って職業婦人になる私。

 書類の山の中に埋もれて、工場の機械油に真っ黒になって、時々夜は舞踏会に駆り出されて、好きでもない他の大財閥の殿方にかしずかれて、それでも愛想笑いを振り向かねばならない。

 神崎のために。ひいては花組のために。

 中尉のために、どんなこともする、何でもできるの。

 

 中尉はその後熱いくちづけを寄越してきた。

 胸の奥から、何かが弾けて私はしっかりと抱きしめていた。

「今だけ、今だけ、ずっとこうさせて下さい!」

「お、おい、すみれ君?」

 中尉が戸惑っても、私にはこうすることしかできない。

 だから、今だけ、そう今だけ、独占していたいのです、中尉、あなただけを。

「……分かったよ、すみれ君」

 再び始まる愛の行為は、私を溶かした。

 身体中を探られて、沸騰するように何も分からなくなって。

 私は浮いた。軽くなった羽根が空を飛ぶように、持ち上げられては落ちて、また上がっていた。

 額に汗を浮かべる中尉の顔を見つめて、夢心地になっていく。

「あ、あ、ああっ!!」

 柔らかい春の日差しの差し込む部屋の中で、残された時間はなくなるだけ。

 胸にすがる私のこの姿は、滑稽だろうか、哀れだろうか。身体に打ち込まれる中尉に愛され、可愛がられ、高まるばかり。

「あ、う、うう、あ、あんっ!」

 吐息の洩れる唇を塞がれた。絡め合って口の中を啜リ合うと、唾液が白い糸になった。

 次は、中尉が私を抱き起こし、上になって跨る姿勢になった。熱くて太い化身に手を添えて、そのまま、ゆっくり、ゆっくり……

「あ、ああ、奥に……」

「それ」

 下から突き動かされ、私は腰を揺すった。

 火花が散って、自分で動けるのも少しの間だけで、すぐに崩れてしまう。

 中尉のたくましい胸にしがみつきながら、抱かれながら、私は哭いた。

「本当に感じやすいんだね、すみれ君」

「あ、ああ、だ、誰かさんの仕込んだせい……です……わ、おかげさまで……」

 にやりと笑う人に復讐がしたくなった。胸の頂きの小さな蕾を口に含むと、

「う、う、す、すみれ君……そこは」

 抗議など聞いてやるものか。

 唾を溜めた口の中で、乳首を転がし、舐め、派手な音を出して吸ってやった。

 身悶える中尉が可愛い。が、すぐにお尻を持たれて、突き上げが激しくなるに及んでは、私もおかしくなっていく、高まっていく、感じていくのだ。

 身体を合わせる、言葉にしてしまえば、こんなに単純なことなのに、そこに気持ちが介在しているだけで、とっても素敵なことに変わってしまう。

 中尉を責めながら、そして責められながら、私はもがき、悶え、身体を震わせていた。

 刹那、途轍もない快感に襲われた。

 また火花が目の前で散り、長刀のお稽古の、そして光武に乗った時の高揚感に包まれ、私は吠えていた。

「ああ、ああっ、中尉! 中尉、あなただけを、あなたをっ!!」

 弓の弦がしなるように反る、私の身体。

 低く呻く中尉の唇を、獣のように求める私。

 

 花組トップスタアにして、今日退く私、神崎すみれ。

 

「あ、ああっ、い、いい……」

 精の迸りを受けながらうなだれて身悶える私の首筋に、中尉がくちづけた。

 音を立てて、肌を吸われた。

「中尉を私に刻んで下さい……」

 夢心地で私は呟いた。もう、そこには満足感しかないのだった。

 

「楽しわが春よ、花咲く春よ。わが麗しの春は、す・み・れ」

 観衆の小型懐中電灯が振る光は、こんなにも明るいのに、どこか寂しげである。

 舞台の袖では、さくらさんも織姫も泣いているようだった。

 カンナさんは……もはや探すまい。目が合ってしまえば、こちらも泣いてしまいそうだから。

 そう、今私の前には、お客様しかいないのだ。

「すみれ、チャチャチャ」

 歌う私の後から、お客様が続いてくれる。

「すみれチャチャチャ、すみれチャチャチャ」

 花道を進む私。歩みを遅くさせて、劇場の匂いを少しでも吸っていたかった。

「歌も踊りも、すみれチャチャチャ、すみれチャチャチャ」

 合唱の繰り返しの果て、たどりついた先の扉を開くと、そこには更なる大観衆がいて、私を見にきてくれていた。

 そして大観衆を近づけないようにと、花組の仲間達が道を作ってくれている。

「すみれチャチャチャ、すみれチャチャチャ」

 楽団の演奏が鳴り、誰彼ともなく、また歌が始まっていく。

 マリアさん、さくらさん、アイリス、紅蘭、織姫、レニ、帝劇三人娘に支配人、かえでさん、そして涙の池を作っているカンナさん。

 言葉を掛ける必要もないし、もういらない。

 それぞれに会釈して進み、列の最後の……中尉。

「すみれ君、お疲れ様」

 花束を差し出す中尉の胸に、どんなに飛びつきたいことか。

 だがトップスタアという意識が、私を押さえさせるのだ。

「……ご苦労様です。小川中尉」

 私が最初に大神中尉(そのころは少尉だった)に会った時、姓を覚えられずに困ったものだ。

 間違ったものほど、それが頭に刷り込まうもので、どうしても小川中尉としか呼べなかったことがあるのだ。

 中尉は笑い、私も笑う。

 思い出を振り切るように、一度私は振り返り、観衆にお辞儀を深々とした。

「夢も希望も、さあ、みんな陽気に! すみれ、チャ・チャ・チャ!!」

 扉に向った時には、もう中尉のことなど目には入らなかった。ただ、私は扉を押し開き、明日への一歩を踏み出していた。

 

(了)

 

亭主後述・・・

すみれ様引退。

実は数年前に、神埼すみれこと富沢美智恵さんの引退公演を見ております。

いつか主役で書かなくてはと思っていたところ、この度リリースされたすみれのOVAを見たのを機に書いてみました。

何度もしつこいようですが、サクラ大戦は第一作しか遊んでいないため、ディテールは私のフィクション。(笑)

松久夢路先生も。(爆)