わたしは忘れない。
あなた様の優しい声を。
わたしは忘れない。
あなた様の優しい愛撫を。
わたしは忘れない。
あのお寺で、あなた様に初めて会った時のことを。
花の精のように美しく、妖しげに現れたあなた様を。
わたしは忘れない。
お婆様と死に別れ、お父様と暮らすはずのわたしを、まるで人さらいのようにご自分のお屋敷へ連れて行ったあなた様を。
わたしは忘れない。
お兄様とお慕いし、甘えて、暮らした日々を。
わたしは忘れない。
何も知らなかった乙女のわたしに、あなた様がしたことを。
無残にも、あなた様に散らされたわたし。
あの日、わたしはおんなにされてしまった。
あなた様は、わたしの全てを奪ったの。
わたしは忘れない。
あなた様が、たくさんの麗しい女人の方々のもとへ忍んでいることを。
そう、わたしは全部知ってるの。
涙にくれながら、袖を濡らしながら、一人寂しく眠る晩の侘しさ。
朝方帰ってきて、拗ねるわたしに囁く空々しい愛の甘い言葉。虚偽に満ちた言葉の数々。
たくさんの女人に囁かれたはずの言葉。
わたしは忘れない。
須磨へ流罪になった時のことを。
三年もの月日の寂しかったこと。他の方のお手紙や夜這いを振り切って、ただ、あなた様のご帰還だけをお待ちしていた時のことを。
独り寝の寂しさと虚しさに耐えかねて、身体が火照る晩、わたしは自分で慰めなければならなかったことを。
あなた様のご帰還を聞いて、天にも登る心持ちだったことを。
・・・そして、そして、あなた様が、明石で新しい妻をお持ちになったことを。
あの屈辱を忘れない。
わたしは忘れない。
他の女人の移り香が染みついたあなた様の装束。
汗が染みついたあなた様の装束。
他の女人の後朝の泪が宝石のように零れ落ちたはずのあなた様の装束。
わたしは忘れない。
「わたしを愛してる?」
お兄様は小さくわたしに囁く。
「・・・ええ・・・大好きよ・・・」
わたしは、余りの眠さに目を開けていられない。
傍でよりそうお兄様の温かい身体が、ぎゅっとわたしを抱きしめる。いつもこうやってわたしは、安心して眠りにつくのだった。
「わたしもあなたが好きだよ・・・かけがいのないくらい・・・だから、だから許しておくれ。これからわたしが何をしても・・・」
今更何を言うのか、わたしもお兄様を愛してるんだわ・・・
「・・・いいわ・・・」
もう瞼が開かない・・・これだけ言うのが精一杯だった。
「紫の君・・・」
お兄様がそっと接吻してきた。・・・いつもなら、いつもなら、これでお休みのはずだったのに・・・
「・・・!・・・いやっ!!」
お兄様がわたしの寝衣装を剥いでいく。わたしの首筋に接吻する。
抗うわたしを万力のような力で押さえつけていく。お兄様が、山賊か夜盗か、はたまた鬼神に見えた。
「もう待てないんだ、紫の君!・・・日毎美しくなるあなたが、あなたがっ!!」
お兄様が月明かりにも露わになった、わたしの胸に顔を埋めていく。
恐怖心に怯えながらも、わたしは怖いはずのお兄様にすがるしかないのだ。
「お兄様!お兄様っ!!」
「ああ、紫の君・・・あなたはこんなにも美しい姫君に・・・いとおしいっ!!」
お兄様の指がわたしの足の付け根に触れる。震えるような感触だった。
「いやっ!お兄様、やめて!!」
わたしの叫びをお兄様は接吻で塞いでしまう。お兄様の指がゆっくりとわたしの身体に入っていく。
「あ・・・ああっ・・・いやあ、お兄様!!」
お兄様は泣き叫ぶわたしを無視していた。抗えば抗うほど指を進ませていく。
「あ・・・はううああ・・・い・・・いや・・・いや・・・!!」
身の毛がよだつような恐怖感。声を出しても乳母の少納言も、もう来ない。わたしとお兄様だけが、この世に取り残されたような孤独感。何も見えない漆黒の闇夜に浮かぶ月だけが、わたしとお兄様を冷たく見守っている。
「紫の君・・・もう、立派な大人なんだね・・・怖くないからね。」
お兄様がわたしから指を抜いた。そっと触れる唇と唇。お兄様の舌が私の口の中で絡められていく。
「うっく・・・うぐ・・・うう・・・はあはあはあっ!」
「いくよ。」
お兄様の逞しい身体が私の上に覆い被さっていく。その中で特に熱く固い一部分が、私の身体に触れたような気がした。
「いや、いや、いやあっ!!」
「力を抜いてごらん・・・いくよ。」
月明かりに照らされたお兄様の顔。とても美しく、神々しくさえ見えた。そして・・・残酷な。
「・・・お・・・お兄様・・・あ!!」
途端に今まで知らなかったような激痛が走る。火鉢に触れてやけどしたような、針を指に刺してしまったような、それ以上の哀しい痛み。
「く!くうっ!!く・・・い・・・痛いっ!・・・お兄様!!」
「わたしは、ここにいるよ・・・とてもすてきだよ・・・ほら、ゆっくり動くからね。」
甘美な囁きも今は苦痛でしかない。
わたしは泣き、叫び、喘いだ。悲鳴を上げた。痛さと恥ずかしさに、唇と夜具を噛んだ。お兄様の背中に手を回した。
「うく・・・く・・・うんっ・・・はう・・・ううっ!!」
何故、わたしがこんな苦悶に耐えなければならないの?
わたしにできる唯一の抵抗は、お兄様の肩を噛むことと、背中に爪をたてることだけ。
「痛いよおっ!痛いよ、お兄様・・・苦しいよ・・・んっ!!・・・あああ・・・んく・・・んっ!!」
「・・・なんて可愛いひと・・・素敵だよ・・・紫の君・・・う・・・ううっ・・・うく・・・うぐっ!!」
お兄様がわたしを貫く。山津波のようなその動きにわたしは泣き、叫び、苦しみ、喘いだ。わたしの露わになった首筋や腿にくちづけするお兄様。びくっとする甘美な瞬間。
「ああ・・・紫の上・・・ああ・・・わたしは幸せだ・・・あっ!!」
お兄様は小さく叫ぶと痙攣した。わたしの身体の中へ注ぎこまれていく愛のかけら、愛の証、愛の形見・・・そしてお兄様の劣情の破片。
わたしはおんなにされた、のだ。
わたしは忘れない。
あの日からしばらくお兄様を憎むことしかできなかった。
「 あやなくも へだてけるかな 夜を重ね さすがになれし 中の衣を」
(今まで何というよそよそしい仲だったことか。あんなに近いように見えながら。だが、これでやっと二人を隔てるものが無くなったね)
というお兄様の後朝の手紙を見ても、わたしの心は決して晴れることはなかった。
だが、年月というのは恐ろしいもの・・・いつしかわたしはお兄様・・・いえ、あなた様に抱かれることが、生きがいになってしまった。わたしの所へお渡りにならない晩は嫉妬と苦しみに悶え、のたうつ。更には自分でその火照りを鎮めてしまうように。・・・他の女人たちにあなた様がしている痴態を夢想しながら・・・さながら愛欲地獄ね・・・
須磨からお戻りになった時・・・明石の君のお話は、もうお手紙で知っていたけど・・・お子様までなんて・・・残酷だわ・・・こんなに一途にあなた様のことを想っているのはこのわたしだけなのに・・・
太政大臣に、准太政天皇にと出世されるあなた様・・・この世の春を謳歌する、と人はお思いでしょうが、わたしには疑問があるの・・・黒雲のような。
わたしに情けをかける時・・・あなた様は一体どなたのことを思っておられるの?・・・ずっと前から気づいていたの、抱かれる度に。
あなた様はわたしに愛の睦事を囁く・・・でも、心は遠く遥か彼方に行っているの。
まさか、まさか風の噂に聞いた藤壺の宮様?・・・わたしの叔母君に当たる方?まさか・・・まさか・・・
そして決定的なことが・・・女三の宮様のこと・・・いくら朱雀院の言いつけとはいえ・・・わたしが、あなた様の北の方ではなかったの・・・?
もういい・・・もういいの・・・わたしは疲れたの・・・いくら愛を積み上げても、あなた様は気づかずにそれを崩していく・・・そう、あなた様が他の一度でも契りを交わした女人の方々にお優しいのは知ってるわ・・・でも・・・でも・・・もう疲れたの・・・いやになったの・・・所詮、儚い夢なの、この世の現身なんて・・・
さようなら・・・あなた様・・・先にいくわ・・・あなた様・・・わたしはお守り致します・・・源家の行く末とあなた様のご健康をずっとお祈りしています・・・
わたしは忘れない。
あなた様の優しい声を。
あなた様の優しい愛撫を。
わたしは忘れない。
あのお寺で、あなた様に初めて会った時のことを。
花の精のように美しく、妖しげに現れたあなた様を。
わたしは忘れない。
お婆様と死に別れ、お父様と暮らすはずのわたしを、まるで人さらいのようにご自分のお屋敷へ連れて行ったあなた様を。
わたしは忘れない。
お兄様とお慕いし、甘えて、暮らした日々を。
わたしは忘れない。
何も知らなかった乙女のわたしに、あなた様がしたことを。
無残にも、あなた様に散らされたわたし。
あの日、わたしはおんなにされてしまった。
あなた様は、わたしの全てを奪ったの。
わたしは忘れない。
あなた様が、たくさんの麗しい女人の方々のもとへ忍んでいることを。
そう、わたしは全部知ってるの。
涙にくれながら、袖を濡らしながら、一人寂しく眠る晩の侘しさ。
朝方帰ってきて、拗ねるわたしに囁く空々しい愛の甘い言葉。虚偽に満ちた言葉の数々。
たくさんの女人に囁かれたはずの言葉。
他の女人の移り香が染みついたあなた様の装束。
汗が染みついたあなた様の装束。
他の女人の後朝の泪が宝石のように零れ落ちたはずのあなた様の装束。
わたしは忘れない。
さようなら……愛しいあなた様……
(了)
亭主後述……
初の平安時代巨編!!
って、誰も萌えないかな?
あっ、これは自殺ではありません、念のため。哀しい哀しい紫の上の告白です。
是非、御感想をお聞かせ下さい。