Ghost in the macine  ~人造人間キカイダー~

 揉み消したばかりのタバコから、まだ細長い紫の煙が立ち昇っていた。ニ三口吸っただけで、すぐにおいしくないと消したばかりのタバコである。

 ジュネーブやローマにいた時、あれだけ夢中になったドラッグにも、今はあんまり興味がないのはどうしてだろう?

 そう考えつつ、身体についた水滴を拭いながら、私は彼に近づいた。

 

 トリップして、男が欲しくなって、男の肌が恋しくなって、周囲に目を向ければ、日本人と知ればすぐに陥ちると思って声を掛けてくる陽気で狡猾なラテン男達のセックスにも飽き飽きしていた。

 ジェットコースターのように連続して襲ってくるエクスタシー、私は男の上や下で喚き散らして、喘ぎまくってばかりいた。その耳元で、ジュテーム、アモーレなど、男達は口々に自分の母国語で愛を囁く。

 私には聞こえない睦事。なぜかと言えば、ドラッグのせいでハイになっているから。ボロボロになっているから。死ぬ、とかダメ、とか日本語で絶叫しながら、私はすぐに奈落の底へ落ちていくだけだから。

 

 ドラッグを止めた理由そのものは簡単だった。

 ここ日本では、吸ったり持ち込んだのがばれたら大騒ぎになるからだ。それでなくても元々厄介なことがあって、日本を出た身なのである。

 久々の帰国に面倒はごめんだった。それならまだ男漁りをする方がマシというものだ。

 だから用心のために、出発前の空港でドラッグ入りのタバコは捨てた。

 

 私の父、光明寺信彦博士はロボット工学の世界的な権威だった。だった、というのは、とっくに亡くなっているからだ。

 ギルというアメリカ人の実業家に騙されて、動物型ロボットを数体造り、私と弟のマサルまで作った(ギルの秘書兼スパイを妻に迎えた訳だ)父は、とうとうギルの野望と悪だくみに気づき、それを阻止すべく人型ロボットに不完全だが良心回路を組み込むことに成功した。

 父の裏切りに気づいたギルは父の研究所を襲い、良心回路と最後の父の作品を押収しようとしたが、失敗した。最後の作品のジローが目覚めたからである。

 ジローこそ良心回路(善と悪の間で悩む機能)を持った人造人間キカイダーなのだ。そして彼はギルの繰り出す動物型ロボットをすべて倒し(敵のロボットも父の作った、言わばジローの兄弟だ)、誘拐された父を取り戻し、ギルの秘密基地を倒した。

 その後、ジローに庇護されたり彼を逆に庇護した私達親子三人は、衰弱した父の療養のため、スイスに渡ったのだ。

 

 ジローの行方は判らなかった。最後の別れを告げたかったのに、とうとう現れてくれなかったから。

 

 スイスに渡ってから、父はいったん健康を取り戻したが、それはロウソクの炎が最後にきらめくようなもので、簡単に原稿をまとめると、それを終えてから儚くなった。

 不思議と涙はもう出なかった。

 

 その頃、日本でロボット怪事件が起こった。マスコミによれば、巨大な遮光器土偶の形をした物体が東京を襲い(シャドウとかダークを名乗る組織なのだそうだ)、しかしまもなくどこかの山中で爆発したらしい。

 

 きっとジローが関わっている、と思った。確証はない、しかし父がもう一体造った良心回路のないイチロー(私の長兄の名でもある)のことを記した告白記を読んで、ますますそう思った。

 

 かつて私は傷ついたジローを直したり(治したり?)、ダークに追われて彼に助けられたりする生活を送った。その間、何と言えばよいのか、はっきり言ってしまえば彼に好意を寄せていたと思う。

 好意、相手はロボットなのだ。恋愛感情など持ち合わせない機械のはずなのに、良心回路を持つジローは、まるで人間だった。

 善と悪の狭間で苦悩し、敵を倒すことに躊躇するピノキオ。

 

 反対に私は、ギリシア神話に出てくる大理石の石像を愛したピグマリオンなのかもしれない。時々鏡を見ながら、ジローにしたキスのことを思い出して、顔が赤くなったものだ。

 

 マサルがロンドンに留学をするという。父を喪い、弟の自立が決まった今、私はこれ以上ヨーロッパにいる必要がないことに気づいた。

 家事や病人の世話から解放されて、バカンスを楽しむことができる身分になったわけだ。初めて自分一人だけのことを考える時間を持てた、のだ。

 

 だからという訳ではないが、ヨーロッパの各地を巡った。そしておかしいことに、一人旅の日本人女性に対しては実に誘惑が多かった。

 年下から年上に至るまで幅広く、旅先のどこでも声を掛けられた。気に入った相手であれば、値踏みしてみてガイド兼ボディガードを務めさせ、時には寝た。

 人肌に恋していたのかもしれない。人肌の温もりを欲していたのかもしれない。とにかく、相手としてインスタントラヴァーのラテン人種は、最高だったと思う。

 情熱、燃え盛る悦楽の瞬間、そして行為の後の自己嫌悪と心地いい疲労感。その繰り返し。

 私は貪欲に相手を求めた。相手は最初こそ目を丸くしていたが、嫌いではないのだ。その証拠に終わった後、必ず異口同音に、

「君は最高だったよ」

 と囁いてくれる。

 

 空港からまっすぐに父の研究所跡に向かうと、区画整理に伴ってそこは真新しいマンション群になっていた。すべからく時の流れは残酷であり、私達一家の名残りのものなど何もなかった。

 ついでに服部探偵事務所を訪ねると、そこもまたビルが取り壊されて、大きなショッピングセンターに変わっていた。ちなみに、お世話になった服部探偵事務所は家賃滞納の挙句、夜逃げしてしまったのだそうだ。

 

 これで何の手がかりもなくなってしまった。

 途方にくれた私は、とにかくホテルに向かって歩き出した。日が沈むとやがてネオンが輝き、どこからともなく人々が現れ、通りを闊歩する。

 何やら大道芸人にも似た夜の町の吟遊詩人達が二組、三組、がなり声を上げて歌っている。歌うのではなく、喚いているのか。

 古ぼけた反戦のフォークソング、ロック、歌手の物まね、思い思いに歌っていた。人だかりに囲まれた(たくさんの若い女の子からの熱い眼差しを向けられているのだ)グループもいれば、まったく寂しいところもある。だが、それぞれ技術の優劣はともかく、心を込めて演奏しているのだけは伝わってきた。

 吸っていたタバコを捨てて、ホテルに戻ろうとしたその時だった。

「キャー!」

「ジロー!!」

「ジローさんっ!!」

 突然、黄色い悲鳴の中に思わぬ名前が聞こえた。胸が痛くなって、声の方角に目を向ける。頼りない吟遊詩人達と一面の人だかりばかりで何も見えない。

 

……ジロー!! いるの? ま、まさか!

 

 人の群れの中に飛び込んで辺りを見回す。しかしいない、いない、ジローは見えない。

 

 

……いる訳ないか。ジローなんてよくある名前だし。

 

 そう思ってみても、私は探し続けた。また、ジローと呼ぶ誰かの声が聞こえ、嬌声が聞こえた。

 

……ジ、ジロー!!!

 

 幾つか目の人だかりを掻き分けて、私はとうとう見つけた。

 どこか狂った音階で怒鳴るだけしか能のなさそうなヴォーカルの陰でひっそりとたたずんでギターを爪弾いているのが、あのまぎれもないジローだった。

 目線を決して上げず、フォークソングを演奏するジロー。昔通りサングラスを頭に、音程を外すヴォーカルに負けず演奏するジロー。父の造った人造人間ジロー。

 ギャラリーの女の子達の嬌声がまた上がる。彼女達のお目当てがジローだということは明らかだった。

 面白くなさそうなヴォーカルは途中で歌を止めてしまい、ジローと何ごとか言い交わすと、さっさと引き上げていった。残された彼はヴォーカルを追いかけようとしたが、ギャラリーの子に囲まれてそれもできなくなった。

 サインをせがまれ、プレゼントを渡され、ジローは困った様子(人造人間でもそれを表現することが可能なのだ)だった。

 

 気づくと、私はそんなジローを眺めながら涙を流していた。

 

……ジローが、そこにいる……

 

 それだけで胸の奥が痛み、心臓を掴まれたような錯覚になった。父の作品が、当たり前だが昔と変わらず調子が良さそうだったことに感動したのか、それとも見失った何かをそこに見つけたのか。

 

 やがてギャラリーが消えていき、独りで後片づけをするジローに向かって、

「ジロー」

 と小さい声で呼び掛けた。

 ギターをしまい、立ち去ろうとしたジローは振り返り、私を見つめた。もちろん彼の耳はどんな小さな音も逃がさないのだ、だから私の声を拾ったのである。

「ミ、ミツコさん?」

 返す言葉はなく、ただ穏やかな微笑を浮かべたジローに対して、

「会いたかった」

 と言って、私は彼の胸に飛び込んだ。

 冷たい機械のはずなのに、そこは不思議なほど暖かく感じた。

「父が死んだの」

「光明寺博士が?」

「ええ」

「苦労したのですね、ミツコさんも」

 どうやらジローはボキャブラリーを増やしたらしい。

「ええ、ちょっぴりね。あなたは?」

「ボクの方もいろいろありました。兄のイチローや弟のレイを」

 ジローは語り出した。

 父の造ったもう一体のロボットである太陽光線をエネルギー源とするキカイダー01(私の実兄の名を冠したのだ)、ジローが造ったロボットのキカイダー00は、最後シャドウと生きていたプロフェッサーギル(と言ってもハカイダーの中での話だ)の罠にはまり、最後はジロー自らの手で破壊しなければならなかったという。

「もうロボットは造らないの?」

 寂しくないのかとの問いに対して、ジローは首を横に振った。

「ええ、もうボクだけでいいんです。でも今日ミツコさんに逢えたから」

 そしてジローは。

 永遠に良心回路(ジェミニ)と服従回路(イエッサー)の戦いの中で生きていくのです、と笑った。

 今までのことで単なる機械ではないことは判っていたが、生きていくという言葉に妙にリアリティを感じた。およそロボットらしくないその台詞が胸に残り、突き刺さり、そして震えた。

「ジロー……キスして」

 言い終わってから、自分が途方もないことを口走ってしまったことに気づいた。これではまるで、久方ぶりの逢瀬に打ち震える恋人ではないか。

 顔が赤くなるのが判った。もちろんジローにはそれが見えているはずだ。何故なら、彼の眼には暗視装置があるからだ。

 しかし予想だにしないジローの答えに、また私は打ちのめされることになった。

「ハイ、判りました」

 そう言ってにっこり笑う人造人間が私にキスをした。

 膝が抜けそうになって、必死になってジローにしがみつくことしかできない私がそこにいた。ロボットのくせに、恐ろしく上手なくちづけだった。

 上手なキスにかすかな嫉妬を覚えつつも、きっと私の感覚が鋭敏になっているせいと思った。そして、こちらが生身の肉体を持った女だからかとも思った。

「ジ、ジロー!!」

 必死になって喚いて、訴えて、機械を超越した人造人間の穏やかな眼差しと暖かい温もりに包まれて、私は哭き震えた。

 

 ジローをホテルに連れ込んだ。シャワーを浴びてから、自分を落ち着けるためにタバコを一本吸い、バスタオルを巻いただけの姿でベッドに座る彼に近寄ると、

「どうしたんです?」

 眼差しはあくまで暖かく、柔らかい。

 

……暖かく、柔らかい?

 

 機械なのに、マシンなのに?

 

 瞳に湛えた光が、私を射る。

 父の造ったマシンは、正に「ヒト」を具現していた。

 ジローは世紀の傑作であった。良心回路と服従回路の交差が生み出した葛藤、としか表現のしようのない感情を持っているのだ。

 言い換えれば、それは魂そのものである。ジローは、冷たい機械の身体の中に魂を宿していると思えた。

 

「私を抱いて」

 つい思いがけない言葉が口から出ていた。

「抱く?」

 ジローは、膝の上に跨った私を不思議そうに見つめる。

 電子頭脳が「抱く」という行為を辞書からスキャンしている時間なのだろうか、しばらくの沈黙の後、彼はようやく私を抱きしめてくれた。

 鋼鉄をやすやすと引き裂くこともできる腕はあくまで優しく、しかししっかりと私を支え、抱きとめている。

「こうですか?」

「……」

 何も言えなくなって、でもジローの顔を見つめると、やがて彼は言った。

「ミツコさん、とってもきれいです」

 囁く言葉には、少し照れと恥ずかしさが混じっているような気がした。父の遺産にいささかの脅威と恐れを感じながら、しかし愛しさが湧き起こる。

「きれいです」

 繰り返すジローの口を塞ぎ、そのままゆっくりとベッドに倒れていく。バスタオルが取れ、私は裸身を機械の身体に押しつけた。

「ああ、ジロー、ああっ!」

 声が洩れた。私の声はうわずっていて、濡れている。

「体温が急上昇し、脈拍が増えています。血圧も、それから、それから」

「……濡れているのよ、ジロー」

 急いでジローの衣服を脱がし、現れた鋼鉄のボディに何度もキスをする。冷たくってヒンヤリしてて、そのくせ、私を見る瞳は暖かい。

 ジローの手を胸に当てると、

「柔らかいです。人間の身体って」

「あん、ああん」

 私は悶えて、機械の身体の上でのたうち回った。股間をジローに(当然のごとくジローには生殖器がなく、似せた部品もない)当てて腰を振る。

 ただそれなのに、それだけなのに、快感が走る。

「あ、あっ、あっ、ああっ」

 私を不思議そうに見つめる視線。逆にそれが身体を熱くさせる。

「きれいです、ミツコさん」

 また唇を重ねて腰を揺すった。

 

……そろそろ、そろそろ! く、くるのぉ、くるのよぉ!!

 

 まったくの自慰行為に等しいのに、昂ぶりは増える一方だ。激しい息遣いとクチュクチュいう音だけが聞こえ、私の脳髄は沸騰寸前になる。

 

 ジローに見られ、見つめられ、見守られて。

 たった独りで熱くなって。

 孤独に腰を振って。

 乳房を固くさせて。

 ただひたすらに身体の奥底を濡らして。

 

「ジロー!! ジローッ!! 私、もうダメッ!!」

 狂ったように吠えた。

 

 私の狂態と痴態を見続けるジローは、ただ穏やかな瞳をしていた。瞳の色は深く澄んでいて、彼に本当の魂が宿っているということを思わせた。

 そして、絶え間なく訪れる快感の波に翻弄されながら、ジローに恋している自分に気づいた。

 

 私は機械に欲情する女なのだ。変態なのだった。

 

「あ、いくう、いくう、いくのぉ!! 気持ちいいの!」

 どうしようもない幸福感の中で叫んでいた。

 

(了)

 

亭主後述・・・

漫画版の孤独なキカイダーの話、大好きです。

ピノキオは幸せになったのでしょうか、というエンディングもよかったです。

アニメ版キカイダーでは、ミツコさんとジローのラヴシーンを思わせるシーンもありました。(笑)

でもなあ……ちょっと古過ぎますね?(爆)